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石黒 達也(いしぐろ たつや、1911年7月1日 - 1965年12月18日〔『CD-人物レファレンス事典 日本編』、石黒達也の項、日外アソシエーツ〕)は、日本の俳優。 ==来歴・人物== 広島県出身〔。岡山県立第一中学校卒業〔。 築地小劇場から分裂してできた新築地劇団に参加し、『海援隊』などの舞台に出演した。しかし1940年(昭和15年)8月19日、新劇弾圧で八田元夫、本庄克二、和田勝一ら13名の劇団員と共に検挙され、同劇団は同年8月23日に解散した。この年の3月に南旺映画製作『彦六なぐらる』で映画デビューしており、釈放後は映画界に移る。翌年、今井正監督の『結婚の生態』で主要な役に抜擢された。その後、牛原虚彦監督の『成吉思汗』や、日中合作で上海ロケを行った『狼火は上海に揚る』などで大役を演じ、豪快な風貌と演技力で中堅俳優として活躍した。 戦後は菅井一郎らの俳優グループ・第一協団に参加し、大映の時代劇映画を中心に、日活や松竹など各社の映画に出演した。戦前のように作品には恵まれなかったが、悪役やインテリ役などの脇役として活躍した。晩年はテレビドラマにも多く出演した。 1965年(昭和40年)12月18日、胃がんで死去〔『新日本現代演劇史 第 3 巻』p.605〕。享年55。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石黒達也 (俳優)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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